『〇〇さんはどうしたい?』
『今日どこ行きたい?何したい?』
こういった質問が、僕は幼い頃からずっと苦手だ!!
理由はちゃんと覚えてないけど、
たぶん、小さい時に『こうしたい!』と答えた時、
『いや、それは〜だから〇〇にしようよ』
『えー、私はこっちがいいと思うなあ』
と、受け止めてもらえなかった経験にあると思う。
(相手はそんなつもり全くないと思う)
幼いながらに、ショックを受けたことを
はっきりと覚えている。
だからか、いま思うと小さい頃から、
人の顔色をうかがって受け答えをすることが多かった。
『この人は、僕にこう答えてほしいんだろうな』
『僕がこう動いたら、喜んでもらえるだろうな』
という考えが常に頭にあって、
自分の気持ちとは別の、
その人が欲しがる「正解」の返答をしていた。
そうしたら、相手に喜んでもらえるし、褒められる。
自分が否定されることもないし、
怒られることもない!!
そのことに味をしめて僕は、
場が丸くおさまるこの「受け答え」で
ずっと生きてきた。
『本当の気持ちを言っても、どうせ否定されるし、、』
『説明するのも面倒くさいし、ケンカもしたくないし、言わないでおこう』
こんな考えばっかりが、僕の頭をもたげていて、
誰かといるときは、自然と
「求められる人物像」にならって生きていた。
僕みたいな人、日本にはかなり多いんじゃないだろうか、、、
この生き方は、ホントに苦しい思いをするのですぐ辞めましょう!
(とはいえ、なかなか辞められないのが辛い)
ずっとこの生き方をしてきた僕は、
どうなっていたかというと、
「自分の本当の気持ちを相手に伝える」ことができなくなり、
さらには「自分の本当の気持ちを知る」ことが難しくなってしまっていた。
このことに気づけたのは、自分の嫁さんに、
『え、自分の意見とかないの?』
『本当はこれしたいんでしょ、知ってるよ』
などと言われまくり、無理矢理にでも、
僕の本音を引き出してもらえたことが大きい。
(嫁さんの質問に慣れるまではホントに辛かった。笑)
『どうしたいって言われても、、、(正直に〇〇したいとは言えない)』
『何したいかか、そうだなー(アレは2人じゃ楽しめないしな・・・)』
こんな回答ばっかりになって、
言葉に詰まってしまう。
ストレートに自分が思う
『こう思う!これがしたい!』が、
おもしろいくらい口に出てこない。
相手に言えないのだ。
自分でもホントに不思議だけど、
言おうとすると『言っていいのかな?』って
思って胸がドキドキするし、
本音を口に出して伝え始めると、
ポロポロと涙が出てきたりする。
言葉は途切れ途切れになるし、
自分でも何言ってんだかわからない。
「自分の本音や、やりたいこと」も、
正直わからなくなっていた。
それでも恐る恐る、嫁さんになんとか伝えてみたら、
『そう思ってたのか!わかったよ』と、
受け止めてくれた。
ー本音を言うと、否定されるか、怒られるか、ケンカになるー
ケンカや言い争いなんてしたくないし、それなら自分が折れたらいい。
ずっとそう思って生きてきたから、
自分の本音を受け止めてもらえた時は、
え?と拍子抜けしてしまった。
僕がぐしゃぐしゃになって、放った言葉を
受け止めてもらえたことが意外すぎたのだ。
それと同時に、幼い頃ショックを受けた自分が、
少し救われた気がした。
最近よく思うのだけど、
①「自分に向き合う」ことが全くない。
人の顔色ばかり見ていて、自分の気持ちに目を向けてない。
②自分のことについて「思考停止」している。
「なんで僕はそう思うんだろう?」という自己理解ができてない。
③自分を大切にしていない。
気持ちを言葉にして、人に伝えていない。過度に人を恐れている。
という点が自分にはあって、
僕は「自分の気持ち」を表明できないまま、
人の意見に合わせることが多かったように思う。
つまり「自分の人生」なのに、
自分が「主人公」として歩めていなかった。
嫁さんをみてると、絶対この人「主人公」だな、と思う。
ほんと羨ましい、、、!
これまでの人生、このやり方で生きてきたから、
そう急には治らないことは覚悟している。
だから「僕はこれしたい!」「僕はこう思った!」
くらいのことを、伝えるところから始めていこうと思う。
今日、晩御飯何がいいか聞かれた時は、
「唐揚げがいい」ってちゃんと言った。
できてるぞ、自分。
この調子で自分の人生、
これから取り戻していこう。